亀屋清永の創業は、元和3年(1617年)。
その65年ほどのち、天和年間に、京の清水坂あたりの屋台で売られた焼き餡餅が、庶民の間で流行しました。それは平たい円形の赤小豆の餡をうるち米粉の生地で包んで焼いたもので、色や形が刀の鍔(つば)に似ていたことから「銀鍔(ぎんつば)」と呼ばれました。
「銀鍔」は、さらに40 年ほど下った享保年間に江戸に伝わり、生地がうるち米粉から、ごく薄い小麦粉に変わって、「金鍔(きんつば)」の名で親しまれるようになりました。
名称が銀から金に変わった理由は、「上方は銀遣い(銀貨幣主体)で、江戸は金遣いだった」「京に対する江戸の意地」など諸説あるようです。
その後「金鍔」は、江戸から日本各地に広まっていきました。馴染みのある現在の四角い形に変わったのは、明治時代と言われています。
「母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。」
明治39 年(1906 年)に発表された夏目漱石の名作『坊つちやん』の一節ですが、大の甘党だった漱石はきっと金鍔をほお張りながらこれを執筆していたんだろうなあ・・・などと想像すると、和菓子屋として創作意欲がむくむくと湧き上がってきます。
銀から金へ、円から四角へ、約200 年の時と人々の知恵や想いを重ね、いまや伝統的な和菓子の代表格として、発祥の地である京都に帰り定着した「金鍔」。今回創作した新商品は、そんなドラマチックな物語に敬意を表した新時代の「キンツバ」です。
インスタ映え的にはどうか・・・というご批判は覚悟の上で、見た目はあえて伝統を守り、金鍔独特のほんのり澄んだ甘味を生かす工夫を凝らして、中身にこだわりました。お茶のほか、シャンパンなどのお供としてもお楽しみいただける味わいに仕上げております。
いまふたたび京都から、金鍔の新たな歴史の一助になれることを願っております。
第17代当主 前川 清昭
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